病婦のdiary

気づいた時に、できる時に

《「国民であっても日本人ではない」という帰化人のアイデンティティーの葛藤》

帰化人には帰化人特有の悩みがある。生まれた国と暮らしている国の2つの文化が錯綜する、アイデンティティーの葛藤である。自分のルーツを大切にしたいという思いと、特別な愛情を抱いている、帰化した国への帰属意識との間の葛藤。心理学者である岡本祐子氏は、「自分は家族の一員であるという感覚が、斉一性と連続性を持って自分自身の中に存在し、またそれが他の家族成員にも承認されているという認識」を家族アイデンティティーと定義している。これを帰化人で考えてみると、家族アイデンティティーが形成されていない、つまり 日本を自分の家族と考えて暮らしているが、日本の社会からは家族とみなされない。「25年が過ぎた今も、いつになったら日本という大家族の一員として受け入れられるのだろうか?」と私は心の中で思うことがある。

しかし、予想に反して認められる場面もある。例えば、娘が宿題を解いている時に、日本語の言葉の意味や使い方を聞いてくれることや、自分が勤めている大学で日本人しか担当させない授業を任せてくれることがある。もちろん日本国籍であっても、本物の日本人ではないことを理由に、対象外とされることもある。

 

一方、 日本国籍取得後も「アラブ系日本人」「中国系日本人」「韓国系日本人」に対して、一般の日本人が不安と困惑を隠せないのが現実である。日本とは違う民族的ルーツをもつ新しい日本人である「帰化人」を、日本社会が受け入れる心構えがないなか、今後の日本の移民政策、そして外国人受け入れ施策の行方はどうなるのだろうか。また、世界の多くの国では生まれた地の国籍を与える出生地主義であるが、 日本の場合は血統主義である。日本も生地主義にすべきだとの声も上がっている。つまり、国籍は天から与えられるものではなく、人間が付与するものだという認識へのシフトが必要だ。

相反する光と影の間では、われわれが目をそらし、「一つの世界」「国境や差別がない世界」「文化・文明が融合する世界」のような大げさな言葉やスローガンでごまかそうとしてきた事実が見える。大半の人が一元的な地理的視点でしか、他者を見ることができないという事実だ!

 

 

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