病婦のdiary

気づいた時に、できる時に

「地上の楽園」という言葉に踊らされて在日朝鮮人の帰還事業で北に行かれ夢破れられた多くの方々、いまだに「地上の楽園」と国民を騙している北朝鮮に驚きました。


【チャイナ・アンセンサード】●●は、北朝鮮よりもひどい場所…?How China Is “Worse than North Korea”

この女性はとても強い方ですね。

死ぬ事よりも生きることを選ばれた。

またインタビューも受けられている。

 

 

 

 

biz-journal.jp

 

金日成マンセー」と叫んで北へ帰っていく人々

 帰国事業が行われていた際、私は「社会主義の勝利は歴史発展の法則だ」と信じて疑っていませんでした。しかし、北朝鮮一党独裁政権によるひどい現実を聞くにつれて、悔やまれてなりません。私は、北朝鮮を批判し『楽園の夢破れて』を執筆した関貴星の娘であり、帰国事業の生き証人でもあることから、これまでインタビューの申し出や執筆の依頼はありましたが、帰国事業の報道のあり方に不信感があったため、表立って語ることは避けてきました。ただ、60年という節目の年であること、傘寿を過ぎて、これが最後の機会になるのでは、との想いから、今回語ることにしました。


 当時、日本は貧しかったですが、在日コリアンはさらに悲惨でした。東京大学を卒業しても、リヤカーを引いてくず拾いをしなければならなかったのです。そのため、北朝鮮から「何も持たないで地上の楽園に帰ってきなさい」と言われれば、信じるのは当然でした。私も帰ろうとしましたから、北朝鮮への帰国に対する意思は理解できます。

 

 

危険だった「北朝鮮の実態を告白」

 父は日本に戻ってから、北朝鮮の実情を総連側に訴えます。朝鮮戦争が終わってわずか7年、廃墟と化した国土の復興と再建の真っ只中で、ゆとりなどあるはずがない。 帰国希望者には、北の現実、物資のない厳しい現実を受け止め、一本の釘や古着でも捨てないで大切に持ち帰り、現状をありのままに知らせるべきではないか。ユメユメ楽園に還るなどという甘い考えを捨て、厳しいけれども社会主義建設に身を捧げることを覚悟した人々が帰るべきだと、真実を隠して帰国させてはならないと、繰り返し訴え続けたのです。


 しかし、「地上の楽園」へと熱病にかかったように沸き立っていた頃なので、父の提言は帰国事業への妨害だと総連から「反動」という烙印まで押され、激しく非難されることになりました。北に骨を埋めたいとまで願っていた父でしたが、帰国をあきらめるばかりか、1962年には北の実態を告発した『楽園の夢破れて』を出版し、総連と対決することになるのです。

 

『楽園の夢破れて』が出版された後、父はあらゆる誹謗中傷に耐えながらも、真実を覆い隠している帰国事業は間違っていると、徒手空拳で孤独な闘いを続けていたのです。「もしこの事実に目を覆い、従来通りの北朝鮮礼賛、帰国促進を続けていけば、恐るべき人道上の誤りを冒す恐れがある」と父は訴え続けました。今から半世紀以上も前のことです。


 何度も父の講演会が妨害され、騒然たる雰囲気となり中止せざるを得なかったことなど、身の危険と隣り合わせの闘いだったと、のちに知りました。もし拉致されたときには青酸カリを、銃は護身用にと、考えていたほどでしたから。